
漆の無限の可能性に魅了されて
房総半島内陸にある長柄(ながら)町。水田や森が広がる集落の中に、漆作家、水野谷八重さんの工房兼ギャラリー「studio&gallery VINTON」があります。
この日は涼やかな装いの八重さん。深みのある艶を湛えた耳元のピアスが、シックな印象を引き立てています。
「このピアスは麻糸を編んで、漆を染み込ませて固めています。重さが気にならないくらい軽いんですよ」
そう、八重さんの作品はデザインが素敵なばかりでなく、親しみやすくて使いやすいのです。
「自分が使いたいものや、同年代の友だちが使ってくれるような漆をやりたいなと思っていて。漆は特別なイメージがあるじゃないですか。ずっと仕舞われてしまうのはもったいないと思うんです」
元々、陶芸を学んでいた八重さんですが、大学時代に漆と出会い「じっくりと、少しずつ前に進めていく工程」に惹かれ、漆芸の道へと進みます。特に得意とする技法が「乾漆」。石膏や木で型を作り、型に沿わせながら麻布を漆で貼り重ねて造形物の素地を作るやり方です。

「漆は『塗り』という印象がありますけど、どちらかというと『下地』の仕事です。表面にある凹凸をできるだけなくすように、ひたすら研ぎます」
貼り終えた麻布の表面に、漆や珪藻土などを混ぜた下地を塗り、乾いたら研ぐ。徐々に粒子の細かい下地にしていき、都度、乾かしては研ぐ。その繰り返し。
「表面がつるんとなってきたら、ようやく漆の塗りに入るんです。大変だけど、その大変さが楽しい」
と、さらりと話す八重さん。それは、漆の無限な可能性に触れる悦びでもあります。
「漆はどんなものにも塗れる。自由度が高いんですよ。それに私、色漆が好きなんです。赤や黒だけじゃないんですよ。漆の可能性はもっといろいろあると思ってやっています」
そう話す八重さんが手にしているのが、乾漆で作ったバッグ。

「形を作って、それを持ち歩ける。それが面白い」
自身のものづくりのあり方を「日々の生活を楽しく」と話す八重さん。漆の可能性への探求心が、暮らしに結びつく。日常の風景に、気負いのない美意識が漂っています。
移住、そして出会い。徐々に広がる活動の場
八重さんは東北芸術工科大学卒業後、東京でアルバイトをしながら漆芸家、松田典男さんのアトリエを訪ねて漆を学ぶ日々を過ごします。都内の百貨店で展示を行うなど、精力的に活動していました。
転機が訪れたのは2008年。鉄作家の雄大さんとの結婚を機に、東京から千葉へ移り住むことになります。
「夫は千葉市出身なのですが、もっと田舎で製作活動をしていきたいって言い出しまして。私も広い場所が欲しいなって思ってたから、じゃあ探そうということになって」
そうしてたどり着いたのが長柄町でした。

「直感でここだって決めたんです。鉄工の作業所があったというのが大きかったですね。前の住人の方が鉄の作家さんだったんですよ。鉄の道具もその方に譲ってもらって、コークス炉の使い方も教えていただいて」
家を通じて作り手同士が出会う。偶然は引き寄せられるようにやって来たのでした。
また、同じ町内にある六地蔵窯の安田裕康さんと親しくなったことも、地域の人たちとの出会いのきっかけとなりました。今では知り合いのギャラリーやカフェなどから金継ぎ教室や器の修復の依頼を受け、房総半島各地をフィールドに活動の場が広がっています。2018年にはVINTONを開設。金継ぎ教室や企画展を通じて、様々な人たちがこの地に集うようになりました。
器が「自分のもの」になっていく
金継ぎとは、漆の接着作用を活用した陶磁器の修復技法のことで、割れたり欠けたりした箇所を、小麦粉と漆を混ぜた粘り気のある「麦漆」を塗って接着し、凹凸を無くしたうえで、金や銀、錫(すず)などの金属粉で加飾します。

修理依頼を受けて八重さんの元にやって来る器の中には、完全にバラバラになってしまったものもありますが、それでも直したいという人は少なくないといいます。
壊れてしまった器を、また使えるようにしたい、再び形あるものとして甦らせたい。その強い思いはどうして湧き上がってくるのでしょう。その思いを受け止める金継ぎの魅力とは、一体どういうものなのでしょう。
「その器が、自分のものになる」
八重さんは、そう表現します。
「例えば白いカップに、金継ぎのワンポイントが生まれることで、なんとなく『あれっ!?』て感じになったり。そうしてまた愛着が出てくるんですよね」

器は、その器の作り手が作った器、という事実は変わりません。ですが、毎日の食卓の中で使い続けたり、窓辺に置いて飾ったり……そうしていつの間にか、自分のものとして馴染んでいきます。金継ぎは、器に心寄せていたその気持ち、愛着までをも呼び戻してくれるだけでなく、いっそう「自分のもの」になった器にしてくれるのです。
さらに、金継ぎを施した後、そこには新たな「景色」が生まれます。
「割れた器に加飾して、それが梅の枝に見えるとか、どこどこの景色のようだと言ってみたり。昔から『見立てる』という感覚が日本人にはあるんでしょうね。そういうことを、美しいと感じるような感覚が」
見立てた景色に自分や大切な誰かの記憶が重なり、器の中の世界が無限に広がっていきます。
「長く使うほどに、様々な記憶が残ると思うんです。その器で子どもの時に食べたものとか、誰と食べたかなとか。いろいろなことがつながっていく。だから、大切に使い続けていけば、もっと自分のものになっていくし、子どもにも残していける」
「自分のもの」になっていく器には、漆の深淵な美しさのように、生きることの喜びが宿っていくのです。こうして八重さんは、乾漆や金継ぎなどを通じ、現代の文脈を暮らしという視点で柔軟に汲み取りながら、伝統の漆の世界に新たな可能性を広げています。
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10/9,10 欠けた器を金継ぎしよう