暮らしから生まれる、
日常の器

温泉街で有名な伊東駅から、ローカル線の伊豆急行に乗り換えて三つ目の駅、富戸駅で下車。みかん畑越しに相模湾を望みながら坂を上がっていくと、程なく齊藤十郎さんの工房にたどり着きます。そこでまず目に飛び込んでくるのが、工房の入口を取り囲むかのように積まれた、登り窯で使う薪の山。

「電気や灯油の窯もあるんですけど、やっぱり年に4、5回は薪で焚きます。単純に火で焚くということの面白さがありますよね。目の前の煙と炎の中で器が焼かれていく…。やればやるほど神秘的というか、不思議な感じがしてきます」

十郎さんは熊本県の小代(しょうだい)焼の窯元、ふもと窯で修業されていますが、「そこでは当時、100%薪で焼いていた」と振り返ります。

鳥取県の岩井窯でも作陶経験がある十郎さん。この二つは、いわゆる「民藝」の窯元として知られています。

「お師匠さんたちの考え方っていうんですかね。それがすごく僕の中でぴったり合う感じがあって。日常的な器を作るということに対していっそう興味が湧きましたね」

今も大型の壺やオブジェといったものよりも、皿やコップなど、より日常使いできる器を中心に作られています。そしてその器のイメージは、自身の暮らしの中から湧き上がることが多いといいます。

「同じ野菜炒めを作っていても、その時々で選ぶ皿が違うんです。それって何だろうって思うじゃないですか。調理した量とか、ほかにどんなおかずがあるかで変わってくる。家族みんなで食べるなら、こういう器が真ん中にぽんとあれば、おかずを取る時楽しいだろうなとか。そうやってイメージするだけでも、選び方って違ってくるんですね」

「器を選ぶ」という日々の行為と、「こんな器があったら」という想像力、好奇心。十郎さんの器は「カレー用の皿」「液垂れしない醤油差し」など、具体的な用途を提案する器も少なくありません。暮らしと器が、真っ直ぐに繋がっているのです。

「絶対に液垂れしません」と十郎さんの自信作。雀のようなフォルムがかわいらしい。飴釉のほか様々なバリエーションがある

作りたいものがどんどん浮かんでくるという十郎さん。
「粘土を触り出すと、最初これを作ろうと思ってたけど、あれもやってみたいなって、すぐ次の器が思い浮かんじゃう。やってみたいことは本当にいっぱいあって。手が追いつかない」

さらに十郎さんは、気になる「工業製品」があれば積極的に使い、観察します。

「どこまでも現代的な形や用途があって、なおかつ作為が少ないものを作る。そういう意味で、工業製品も僕はすごく参考にしますよ」

工業製品は大量生産に耐えうる、考え抜かれたデザインを備えています。それを参考にしない手はありません。

「器はこうあるべき」というよりも、あくまでも「日常の器」を作りたい。その姿勢が発想の源泉を豊かで柔軟なものにしているのかもしれません。そうして生み出される器は、様々な暮らしのシーンに溶け込み、使い手の感性を屈託ない表情で受け止めてくれる包容力があります。それでいて、静寂を引き込むような深みのある存在感をも持ち合わせています。

十郎さんの器は、象嵌(模様を刻んだ窪みに異なる色の土を埋め込む装飾法)や点打ち、イッチン(スリップウェアと異なり、乾いた素地に模様をつける)など、その多彩さも魅力

「用途があって、それがなおかつ愛でていて楽しいものであったら最高。そういう気持ちでやってます」

人が日々をより良く暮らすこと…つまり生きる喜びというところに通底した「芯」の部分が、十郎さんの器には込められているのです。十郎さん自身、

「器は、その人そのもの」

であると強調します。

「粘土を押していくというよりも、指の腹を使ってそのままずらすイメージ。同じ力のままスーッと。だんだんそれを狭めながらずらしていきます」。そうして見事に絶妙な太さ、厚みのハンドル(器の持ち手)に

「人間っていろんな面があって、きれいな部分だけじゃない。自分自身が、そういうのも全部含めて認めていかないと、変な自我が器に出て、苦しいものになってしまう。モノを作ってるんですけど、それは結局、自分のそういう部分への問いかけでもあるんです。器は、その人がどう生きるかっていうことが、全部詰まってるものだと思いますね」

ひとりの作り手を超えた、
未来へのチャレンジへ

そんな十郎さんも、器を作り始めた当初は「苦しい器」が多かったと打ち明けます。自分なりに工夫して模様を付けてみたり、試行錯誤しながら形を整えてみたりするものの、出来上がったものは誰かの二番煎じのようで、面白くないものばかり。そんな中、修業先で出会ったのが「スリップウェア」でした。

スリップウェアは十郎さんの定番の器

スリップウェアとは、土に水を加えたクリーム状の泥漿(でいしょう)=スリップで模様を描き焼き上げた陶器で、主にイギリスで広く作られていたもの。民藝の世界では、バーナード・リーチらが日本各地の民窯でスリップウェアの技術を指導したことがよく知られています。

「自分で模様を付けることは、自己鍛錬のようなことが必要なんだろうと感じていたんですけど、スリップウェアだと、その力みのようなものが『軽く抜ける』感じでできたんですね。スリップですので、当初の思い通りに線が描けないところがある。それを自分で認めれば、器にとって苦しくないものができるんじゃないかって。轆轤(ろくろ)や焼成もそうですけど、思い通りにならないっていうことも面白さなんですね」

「こうやって櫛で描くのもスリップウェアの醍醐味ですよね。代表的なやり方ですが、僕はこれ、すごく好きで」。櫛描きは十郎さんお気に入りの技法

その「抜け具合」に違和感を感じさせないのが十郎さんの器。それは雑なのでも諦めているのでもありません。自然のままを受け入れることで生まれる、無理のない造形。それが「人間の、生き物として心地いい感覚」に達した時、「美意識」として知覚されます。その美意識と、「作り手の感覚の中から出てきた何か」…つまり、器に込められた「その人そのもの」がシンクロしていくことで、十郎さんの目指す「作家でありながら没個人」という、矛盾を超えた境地に至るのではないか……。そうした十郎さんのお話から、ものづくりに対する姿勢が垣間見えるのでした。

さらに十郎さんは、

「これからは障がいのある人と、もっと一緒に仕事していきたい」

といいます。それは、福祉的意義の側面だけにとどまることではありません。

「その人たちに作業してもらって、器づくりから僕の手が離れるっていうことに、今すごく興味があるんですね、仕事として。それこそ昔のものづくりって、作ってる人の余分な意識が排除されていくような分業が多かったじゃないですか。古い器を見ると、作為とかメッセージを感じない。逆にそこがすごいし、心地いいなって思ってて」
そう、この構想は、作り手を超えた新たなチャレンジでもあるのです。

暮らしの器を作り、それを「文化」として広げつつある十郎さん。この器には、過去の伝統だけでなく、未来の在り方が宿っているのです。

文・撮影:沼尻亙司(暮ラシカルデザイン編集室

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